徒然なるままにジョイフルトレイン その5
気まぐれでジョイフルトレインについて綴っていくシリーズ(?)もの。
今回は函館ー森を走っていたSL函館大沼号です。
保安装置などの関係で2014年いっぱいで運転を取り止めてしまった列車です。
牽引機は写真のC11-207 もしくはC11-171が充当されていました。
運転時期により客車は全車旧型客車だった時期と、14系客車+カフェカー(旧型客車)の2パターンがあったようです。
私が乗車した2014年夏シーズンは写真の通り機関車はC11-207、客車は14系客車+旧型客車が充当されていました。
補機としてDE10がしんがりを務めているところも他のSLニセコなどと同様です。
2018年現在から考えると、乗客が自由に出入りすることのできるという差はありますが、車掌車も連結されており、外から見るとSL大樹に似た形の編成といえるかもしれません。
北海道新幹線開業前の当時、SL函館大沼号の停車駅には「渡島大野」も含まれていて、建設中の新幹線駅を間近で眺めることもできました。
(建設中の新幹線駅を眺めること自体が珍しいですが、近さで言えば閉鎖直前の津軽今別(→奥津軽いまべつ)を上回る近さを体験できるとこはないでしょう。)
車内は簡易リクライニングシートからボックス席へ座席換装された14系客車が中心で、カフェカーに改造された旧型客車では乗車記念グッズなどの車内販売が行われていました。
7月下旬の乗車日はなかなかの乗車率で、売り切れになってしまうグッズもあったように記憶しています。
終点の森駅はイカ飯の駅弁が有名ですが、転車台の設備はないため、SLは方向転換をせず、機回しのみをおこなって函館へ戻っていきます。
途中駅でのやや長めの停車なども含め、約2時間の列車旅。
新幹線開業に伴い観光客数も増加傾向にあるようですし、SL運転が復活となれば喜ばしいことですが、そのためには越えなければいけないハードルも多くあり、残念ではありますが、しばらくの間は夢物語になってしまいそうですね。
それまでは写真や手元に残ったきっぷを眺めながら、来たる復活の日を心待ちにすることとしましょう。
オホーツク、宗谷 平屋グリーン車の思い出 その2
その1の続きです。
前回はオホーツクの合造グリーン車に乗った時のことを書きました。
そして、いわゆる「キロ9」には乗れず仕舞いだと思っていたら…、というところでおしまいにしてしまいました。
「キロ9」への思いがけない乗車機会はJR北海道の「わが街ご当地入場券」の収集のために道北方面を旅した時にやってきました。
せっかくの、そして恐らくまたとない「キロ9」への乗車。少しでも接する機会を増やそうと、翌日「キロ9」が入るであろう運用への乗車予定があるにも関わらず、深夜の稚内駅でお出迎えをしてみたりもしてみました。
最終列車として最北端の駅、稚内へと到着するキハ183系は私以外に出迎える者もなく、乗客もまばらで、本当に引退が迫っている車両の予定外の入線なのかと疑いたくなってしまうくらい穏やかなものでした。しかし、そのおかげで、札幌駅とは違い、ホームを行きかう人や引っ切り無しに出入りする他の列車を気にすることなくのんびりと列車を眺めることが出来ました。
そして、美深でご当地入場券を仕入れてからいよいよ「キロ9」へ乗車します。
(と言っても、この時はグリーン車の発売が中止されていたので、普通車指定席を確保し、乗車後に車内で差額を支払ってグリーン券を発券、座席の指定を受けるという形でした)
乗車後に手持ちのきっぷ類を手に車掌へグリーン席への変更を申し出、いよいよ「キロ9」へと移動しました。
マルス上発売されていない座席区分にわざわざ乗ろうという鉄分の濃い利用者は少ないと見え、結局終点の旭川までグリーン車を利用したのは私とご当地入場券収集を手伝ってくれた相方さんだけでした。
定期運用がなく、今回のような突発的な代走が主な活躍の場だったこともあり、座席などは1世代、もしかしたら2世代前の座席がそのまま使われています。
キハ283系のグリーン車に装備されているようなシートヒーターなどもなく、やや作りとしては簡素な印象を受けましたが、次はいつどこで走るか分からない車両に巡り会えた興奮は今でもよく覚えています。
車掌さんに発券してもらった車内補充券は、旭川駅改札口であえなく回収の憂き目にあってしまいましたが、こうして車内の様子を写真に残すことができ、なにより実際に車内で楽しく過ごすことが出来たという事実は、私の北海道の鉄道にまつわる大切な一コマです。
長々とキハ183系の平屋グリーン車にまつわる思い出話を書いてみました。
当時としてはかなり思い切って実行に移したグリーン車への乗車。
今となってはもう乗ることのできない車両への乗車体験だったこともあり、「よくぞ決心した」とかつての自分を褒めてあげたい気分です(笑)
今も昔も私にとって特に優等列車のグリーン車に乗ることは特別なことで胸躍るイベントですが、この楽しみを教えてくれたのが、私の場合はJR北海道の気動車特急たちだったのかもしれません。
逆に言えば、ここでグリーン車に味をしめていなければ、私のお財布事情はもう少し豊かなままでいられたのかもしれませんがね…。
オホーツク 平屋グリーン車の思い出 その1
もう3か月ほど前になりますが、2018年7月から札幌と網走を結ぶ特急「オホーツク」、旭川と網走を結ぶ特急「大雪」に充当されるキハ183系に、かつて函館-札幌を結んでいた特急「北斗」から転用された車両が充当されるようになり、従前より使用されていた車齢の高いキハ183系と交代することになりました。
今回は車両変更の前後のタイミングで引退した平屋グリーン車、グリーン車普通車合造車の思い出話などを。2018年10月現在で実際に運用されているハイデッカーグリーン車の話題ではないのであしからず。
私が初めて「オホーツク」の平屋グリーン車に乗ったのは2015年の2月でした。
吹雪の青森駅から「はまなす」のカーペットカーに乗り、まだ街全体が薄青い早朝の札幌駅に到着。1時間ほどの接続時間で乗り込んだのが「オホーツク1号」でした。
今よりも車両に関する知識も乏しかった私は、特に珍しいものに乗っている自覚もなく、なぜこんな中途半端に普通席をねじ込んだのかなぁとぼんやり考えるのみでした。そしてそんな思いも、車窓を覆い尽くす吹雪によっていつの間にか吹き飛ばされていました。
吹雪による遅延を徐々に抱えながら遠軽に到着。ドア扱いをした途端、おもむろに車掌さんと当時はまだ乗務のあったグリーンパーサーさんがやってきて、グリーン席の回転を始めたことにも驚きました。
そして、事前に頼んでおいた遠軽のカニ飯を届けてもらった時も、頼んでいないのに、パーサーさんが温かいお茶を一緒に出してくださったのにも驚き、やたらとお礼を言ってしまった記憶があります(笑)
(当時も縮小傾向にあったとはいえ、グリーン車に乗るとソフトドリンクのサービスが一部列車に残っていました)
冬靴を履いていてもわかるやや厚めの絨毯や、気動車なのに気を付けないとエンジン音が聞こえないレベルの遮音性、そしてどこからともなく醸し出される(?)車両全体に漂う落ち着き。
グリーン料金という追加料金が、ただ広くてフカフカな座席に対して支払われているだけのものではないことに気付かせてくれるきっかけになったのが、私の場合は「オホーツク」の平屋グリーン車だったのかもしれません。
結局30分ほどの遅延で終点網走に到着。全面はご覧のとおり真っ白で列車愛称を掲出しているのかどうかもよくわからない状態でした。
この日は午後から天候が悪化し、後続の3号は大幅な遅延、それ以降は運休になってしまったと記憶しています。
雪原の中をひたすらに突き進んでくれた183系に感謝しながら網走のホテルで暖をとり、隙を見て観光に繰り出していました。
そして時は流れ、あの無理やりねじ込まれた普通席はもともと業務用のスペースであったこと、増結抑制という目的があったことなどを知り、またファンの間からは「キロ9」と呼ばれる、普通席を増設していない原形車両があることも知りました。しかしその頃には気軽に渡道することも難しく、結局「キロ9」とは出会えず、平屋グリーン車の乗車も吹雪の中乗ったあの「オホーツク」のみになってしまうのだなぁと、心のどこかで諦めてしまっていました。
さらに時が流れ、キハ183系のスラント型先頭車の引退が囁かれるようになってきた昨年、道北方面のご当地入場券収集を主目的に渡道することになり、久しぶりに札幌駅に降り立ち乗車案内板を見上げると、見慣れない「増1号車」の案内表示…。
その当時代走の定番と言えばスラント型のキハ183系。そして、グリーン車の代走にはしばしば「キロ9」が充当されていました。
もしかしたらチラリと見ただけだった「キロ9」の運用と自分の旅程と合えば乗車することも可能かもしれないと思ったときの胸の高鳴りはただのイベント列車の比ではありませんでした。
だいぶ長くなってしまいました、「キロ9」にまつわるお話は続編としましょう。
片道だけど飯田線秘境駅号
18きっぷの季節になると、飯田線を走破する普通列車が混むとか混まないとか…、そんな都市伝説(秘境伝説?)のある飯田線は普通列車の他に定期特急「(ワイドビュー)伊那路」が2往復が運転されています。
そしてほぼ各季節ごとに数日ではありますが臨時急行「飯田線秘境駅」号が運転されます。
その「飯田線秘境駅号」に乗る旅行商品がJR東海の子会社、東海ツアーズから発売されていたので、乗りに行ってみました。
私が参加したツアーは先に「(ワイドビュー)伊那路」に天竜峡まで乗り、ガイドツアーを1時間ほど楽しんでから秘境駅号に乗り豊橋へ向かうものでした。
秘境駅号に充当された列車はいつも通りの373系。今の「(ワイドビュー)伊那路」や「(ワイドビュー)ふじかわ」の他に、かつては「ワイドビュー東海」や「ムーンライトながら」、愛称の特にない乗り得普通列車として大車輪の活躍を見せていましたが、かつての勢いは鳴りを潜めているようです。
車内はフリーストップリクライニングシートが並び、デッキがないことと両開きの幅広ドアを除けば特急列車そのもの。
今や懐かしい響きを帯びる「急行」の運用に入るには充分な装備が備わっています。
秘境駅号はその名の通り、乗降客数の見込める駅ではなく「秘境駅ランキング」上位の駅に止まり、駅ごとに停車時間は異なりますが散策タイムも設けてくれます。
秘境駅独特の「何もない」という空気感を山間のあっつい空気と一緒に身体に染み込ませながら列車は一路豊橋をゆっくりと目指していきます。
いつもの「(ワイドビュー)伊那路」運用では当然ですが通過してしまうので、しっかり止まっている373系と駅舎の組み合わせは秘境駅号ならではなのでは…?
東海ツアーズのスタッフの方や秘境駅号の車掌さん、また沿線の皆さんまで。運転に関わる皆さんのおもてなしの気持ちが伝わってくる、温かい片道秘境駅号の旅でした。
(きっぷ収集もしている筆者としては、団体での乗車だったので自分の座席分の指定券が手元に残らなかったのが残念な点ですが、一般販売枠は10時発売即完売が定番の様ですので、乗れただけでよしとすることにします…。)
徒然なるままにジョイフルトレイン その4
ご無沙汰気味になってしまっているジョイフルトレインシリーズ。まだまだ津軽海峡を渡ることはせずに、道内の列車を紹介していきます。
今回は道内最大の駅、札幌にも乗り入れていたSLニセコ号です。
札幌から小樽を通り、「山線」の愛称もある函館本線で余市、ニセコ、蘭越まで向かいます。
編成はSL+旧型客車+DLのプッシュプル編成。
車内では停車駅や到着時刻の案内のほか、車窓から見える景色の解説や、駅周辺の観光地の案内もありました。
倶知安からは全車自由席の快速列車になります。なんという乗り得な列車(笑)
SLニセコ号のDL側@小樽駅。DE15ということは冬になればラッセルヘッドをつけて除雪に大活躍するのでしょうね。
筆者が乗車した時は秋のハロウィン直前だったので(?)、ニセコ駅には大量のカボチャたちが…(笑)
この時はまだきっぷに対する興味があまりなかったので、窓口には寄らずに手ぶらで撤退。今考えれば常備券や観光入場券など仕入れるべき裏白のきっぷがたくさんあったのに………。
ヘッドマークに「HOKKAIDO Railway Company」の文字を誇らしげに掲げて走っていたC11-207。まさか関東で再会することになるなどとこの時は思うはずもなく…。
保安装置の関係で、札幌、函館などでの運行は当面の間厳しいという話も聞こえるJR北海道のSL列車。
北海道随一の大都市、札幌に乗り入れていたSLニセコの乗客数は多かった事と思いますが、安全を軽視することは許されませんし、現在のJR北海道を取り巻く現状を考えた時、観光列車に注力することが出来ないことも充分理解できます。
現状では道東での運行に限られSLも1両に限られてしまっていますが、末永くその1両が走り、愛されることを願っていますし、願わくば苗穂で長い眠りについているC62の復活が実現せんことを……。